back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2008.04.28 リリース

第五回 <医者の不養生>
 世に「紺屋(こうや)の明後日(あさって)」「医者の不養生」と言う。両者はどう関連するのか、よくわからないが、いずれにしても、紺屋の明後日に似たことは始終経験しているし、医者の不養生も実感である。
 私ごとで恐縮であるが、私は、きょうだい、いとこ、はとこなど一族に医者が多い。数えただけで二十数人はいる。開業医も多いが、大学の教授をしていたのも五人程いる。
 ところで、その医者が、長生きしているものもいるが、概して早く亡くなっている。そこで、医者の無養生という言葉が頭に浮ぶのである。
 医者は、少なくとも、医者でない私達よりも病気のことは良く知っている筈である。その医者が何故無養生となるのか、が疑問である。
 私は、一つには、医者が自ら医術の頼りないことを知っているからではないか、と思っている。医学が進歩し、分科するにつれて、専門外の分野については知識も経験も乏しくなる。それになまじ知識があるだけに、自分の体調に異変を感じることも早い筈である。
 ところが、病気にかかった場合、いろいろなケースがあることを知っているし、診断を誤ったり、手術をミスしたりする場合があることも知っている。
 天下の名医と言われた東大の沖中先生が晩年の著書で自分の誤診率は一五%であったことを告白していた。沖中先生ですらそうだとすると、一般の医者の誤診断はもっと高いに違いない、と思うのは当然である。
 私は、子供の時からよく風邪をひいたり、とにかくよく医者にかかった方である。小学生から大学を出るまで一人の先生に診て貰っていたが、カルテは大きな束になるくらいであった。暫らくぶりに医院を訪ねると、暫らく来ませんでしたが、どうされましたか、などと言われた。どうともないから、来なかったんですよと言う笑いになるわけであるが、それくらい医者には良く通う方であった。
 私は、小学校五年生の時、急性腎臓炎でほぼ一年間休学をし、お情けで六年に進級したし、人並みに盲腸炎もし、軽い結核にもかかり、骨折もムチ打ちを始め何ヶ処もしている。中支の軍隊でひどいマラリアにも苦しんだ。
 役所に戻って暫らくして、どうも胃が痛いし、変だと自覚したので、某大学の教授に診て貰ったところ胃潰瘍だ、直ぐ手術した方がいいと言われた。その時、私はどうも納得がいかなかったので、別の大学の教授に診て貰ったら、何と、十二指腸のところに有鈎条虫が喰いついているという診断で、早速サントニンか何か飲まされた。一、二日後に一メートルもある太い条虫が便と一緒に出て来たのには驚ろかされた。胃潰瘍ではなかったのである。切られないでよかったと思った。それから、医者に対する信頼感がかなり揺いだことも事実である。
 それからもう一つ、患者として医者に言いたいのは、近頃は昔と違って聴診器をあてたり、指で触診をしたりする医者が少なくなっているのではないか、と思う。先ず、血液その他について機械の叩き出したデータ表を睨んで物を言う。医学が進歩したと言えば、そうかもしれないが、矢張り身体を直接視たり、触ったりしないと、本当のことはわかり難いのではないか。何だか、データ一本に頼っていることの危険さを感じることがある。
 それからもう一つ。こういうことを言うと医者から嫌われるかもしれないが、感じていることを言うと、どうも医者によっては、病気を直すために当然ではあるが、新しい技術や薬を試してみたいという意欲に駆られるようである。悪いこととは言わない。そうやって、ある程度の危険を冒しつつ医学が進歩するのかもしれないから。
 例えば、近頃は手術も切腹しないで、内視鏡を使って器用にやることを競っているように見える。確かに、穴を幾つか空けて内視鏡を操作しつつ手術をすれば、患者の負担も少なくて済むし、回復も早いという利点もあるし、術者も手際を誇ることも可能である。ただ、最近私の知人が前立腺の手術を内視鏡で受けたが、癌が進行性で、ステージVとか、患部が取り切れなくて、結局一月後に切腹で再手術を受けることになった。手術をしてみなければわからなかったということだろうが、最初から切腹手術を受けていれば一回で済んだとも言える。その方が患者の肉体的負担も、費用も少なくて済んだと考えられる。
 いくら良くできた機械を手の指のように操作しえても、やはり裸眼で視て、自分の手で道具を操るようには行かないのではないか、そこに無理が残っていないか、という懸念がある。
 医療ミスはいくら技術が進歩しても起こりうるし、今まではとても助からなかった病気から患者を救出することもあるだけに、綱渡りのような技術がうまく功を奏しなかった場合のミスだけを咎められても仕方がないとも言える。
 要するに、そんなこんなのことをよく知っている医者だけに他人の医者の診療について安心感を持てない分だけ、身体に異常を感じてもなかなか診て貰わないし、自分の判断で処置したり、処置を指図したりする。
 詰り、自分の技術を信用できないので、医者に凡てを委せる気になれない。そこに手遅れが生じ、医者でなければ助かったのに、医者が先に死ぬような羽目に陥る。
 正に医者の無養生であると思うが、読者諸賢如何に思われるか。
 


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