back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2008.11.13リリース

第二十四回 <「黒人大統領の誕生」>
 民主党の大統領候補としてオバマ氏がクリントン夫人を抑えて当選した時、既にオバマ氏の大統領選勝利の予想が強かったが、正直言って、私は、本当にそうなるのかな、と疑っていた。
 しかし、現実は、その後のオバマ候補の支持率は共和党のマケイン候補を上回る予測が変ったことがなく、遂に十一月四日の投票でオバマ氏が大差でマケイン候補を上回る選挙人を獲得することになり、オバマ大統領の誕生が確定したのである。
 米国として初めての黒人大統領と言われているが、オバマ氏は完全な黒人ではなく、アフリカ系の黒人とアメリカ系の白人との間に生まれた、いわば米国の人種構成が一つのタイプ(本人自ら雑種と呼んでいる)のような人であるが、いずれにしてもアフリカ系の黒人の血を強く引いているという点では初めての大統領の誕生であった。
 南アフリカ共和国のアパルトヘイトが世界的な論議の的となっており、長年の白人支配の政治体制を打ち破って一九九四年遂に黒人の大統領が誕生したが、そもそもこの国は人口の八割も黒人が占めているので、黒人が平等の選挙権を持つようになった途端に当然のように実現したのであって、黒人系やヒスパニック系の人等がヨーロッパ系の白人よりも少ない現在の米国とは事情が異なっている。
 米国における人種差別が極めて酷いことは子供の頃読んだアンクルトムズケビンなどでも感じていたが、南北戦争で北軍が勝ち近代米国の政治体制が確立された後においても表面上はともかく、内部では深刻な人種差別の流れがあったと思う。
 私が大蔵省在籍時代、初めて米国に出張したのは一九五五年(昭和三十年)であったが、十日余り滞在した首都ワシントンでも黒人に対する人種差別の空気を強く感じさせられた。
 泊まっていたホテルには黒人従業員がいるので割と安かったが、当時外貨制限で大蔵省の課長クラスである私に支給された一日十五ドルの外貨旅費では、そういう宿でしか泊まれなかったのである。
 汽車などの乗物もホワイトとブラックは座席が区分されていた。われわれ日本人はホワイトの扱いということを聞いていたし、そう実行していたが、全くひけ目を感じなかったかというと、そうとは言い切れない気がした。戦争で負けたという負い目を感じていたのかもしれないが。
 当時、ホテルのロビーなどを歩くと、日本から履いて行った靴はキュウキュウと鳴るのである。温度の差が原因だと言われたが、何となく肩身の狭い思いがしたものである。日本人も少なかった。
 それが、何と、世界第二の経済大国として米国に迫る経済勢力となり、一人当りのGNPは一時米国を凌ぐところまで成長した。
 世の中のこと何でも波があり、変革もある。日本の一人当りのGNPは今や世界の第十四位にまで下がったし、世界各国の流れに背いて低成長を続けている。変るものである。
 それにしても、米国にアフリカ系の黒人大統領が誕生したことは、正に画期的なことだと思うが、米国人がチェンジを訴え続けたオバマ氏の大統領を素直に受け入れているとすれば、ひょっとすると、それがチェンジであるのかもしれない。
 とすれば、麻生首相が言った通り、日米間の外交関係に今後変りはないかもしれない。
 というのは、今まで、どちらかと言うと、対日外交では共和党政権より民主党政権の方が厳しいと信じられて来た節があるが、それも変ってくるかもしれないという期待感もあるようである、からである。
 今後も、米国では出生率の差もあって、黒人系、ヒスパニック系の人口比率が拡大して行くと見られているだけに、黒人候補を大統領に当選せしめた民主党の勢力が伸びて行くのであろうか。
 それとも、そういう人種問題が次第にマイナーな要素となり、もっと純然たる政策論争になって行くのであろうか、関心が持たれる点である。
 サブプライム問題に端を発した米国の金融不安が全世界に影響を及ぼしている現状からして、世界経済における米国の占める地位の低下は疑いもないようであるし、それは又米国の世界における政治的発言力の低下に繋って行く、と思われている。
 さすれば、この辺で、日本の出番到来といかないものか。遺憾ながら、日本も米国の余波を受けて、例えば、株価が激しく浮き沈みしているような状況では、余り大きな口は利けないが、それにしても、サブプライム問題の影響の比較的軽かった日本が、ここでシャンと立って、国の政策の行方を明らかにする必要があると思っている。
 正に麻生政権の出番であるが、読者諸賢如何に思われるか。
 


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