back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2010.08.26リリース

第七十九回 <「満州野末の石の下」>
 去る8月15日、第65回目の終戦の日を迎えた。戦争はもう終ったと言うのを、ポツダム宣言に違反したソ連によってシベリア奥深くまで貨車で運び込まれ、酷寒地に抑留された将兵60万人の約1割が死亡するという悲劇の責任はどこまでもソ連(分裂後はロシアその他の国々)に追及し続けていかなければならないと思っている。私は、そのソ連抑留者の団体(財団法人全国強制抑留者協会)に推されて約30年の間に会長になっている。理不尽な抑留について、われわれは今なお憤激を禁じえないが、われわれと同じように、或いはある意味ではわれわれ以上に悲惨な目に遭ったのが旧満州に住んでいた民間の邦人ではないか、と思う。
 われわれはまだ軍隊のように一団となって行動していたから、まだましな面もあったが、満州に住んでいた民間の邦人としては、国境の満蒙開拓義勇隊の隊員のほか、満鉄や華北交通など幾多の企業に勤めていた人、その家族などである。もう戦争は終ったというのに、そして、全く武器を持たない丸腰であるというのに、日露戦争の仇を返せとばかりソ連軍により襲いかかられた。寒さと飢えばかりではなく、無法な攻撃によって約24万人の邦人が命を落したといわれている。
 生命からがら引き揚げた人達によって、その時の地獄のような有様については既にいろいろと語られてはいるものの、私は、今の日本人はあまりにもこの事実は知らなさ過ぎると思っている。
 ソ連での抑留地エラブガの収容所にも満蒙開拓義勇隊の隊員が一部混ざっていた。彼等は16歳ぐらいで隊員となっていたから、収容所の中でも一番若い人達であった。
 内地では茨城県の内原で渡満前の隊員研修が日輪兵舎と呼ばれた宿舎に寝泊りして日夜行われていた。私達も何回かそこでの研修に参加した。加藤寛治所長のもとの研修のなかで、農事の実習が鋤鍬で行われているのを見て、異様な印象を受けた。満州と言えば、わが国土とは比べものにならないくらい平らな広大な土地に近代的な機械を入れて、耕作を行う、そのための実習をするのか、と思っていたのに、案に相違して、内原での訓練は精神訓話を中心とする、古い農民教育であった。こんなことではいいのかな、という質問には、開拓の精神はやはり昔からの鋤鍬を振るって畑を掘り起こすことから始まるのだ、という答が返って来た。
 開拓義勇隊の本当に若い人達は、広い大陸で五族協和の名のもとに行われた新しい国、満州国家の建設に参加する心意気で、明るい将来を夢みて、開釜連絡船に乗り込んだと思う。
 10人に一丁ぐらいの38式歩兵銃のみが武装であった、開拓義勇隊の隊員たちが、ドイツ軍に勝った勢いをもって南下するソ連軍の戦車、装甲車、自走砲などの近代装備の前にあっては、一たまりもなかった、と思う。まさかソ連が連合国側について参戦するとは思われなかったし、8月15日をもって戦争は終結をしたのだから、それ以後まだ戦争は終らないと称してソ連軍が満州の野を南下し、攻め込んでくるとは思わなかったのに違いない。
 ソ連は9月2日をもって日ソ戦争勝利の日としている。8月15日を過ぎてもそれまでは戦争は継続していたと称している。
 関東軍は、8月9日ソ連軍の宣戦布告に対して、積極的な攻撃ではなく、抵抗しつつ逐次後方に撤退せよ、というような命令を傘下の軍に発し、本部を新京から宜化の山中に移した。
 その間、関東軍の将兵は言うまでもないが、満州の新天地での雄飛を目論んでは大陸に渡っていた多くの邦人に対して、全く収容のつかない混乱の中でソ連軍を中心として行われた殺戮、強盗、強姦その他あらゆるおぞましい行為に曝された苦悩はいかばかりだったか、と思う。
 24万人も亡くなったという。しかし、旧満州帝国は崩壊し、関東軍も潰滅し、ありとあらゆる施設、設備を根こそぎソ連領内に運ばれ、幾多の資料も焼かれ盡したために、充分な記録があるわけではないので、その数すら不確かである。内地では動員された将兵の兵籍簿が曲りなりにも残っていたが、満州の現地で召集された人々の記録は残っていないのではないか。
 私は、ソ連抑留者の会の会長として、抑留に関する記録を遺すことに努力をして来たし、又、ソ連抑留者の名簿の作成、墓地の維持管理などについても、及ばすながら同志諸君とソ連政府の諸機関に対し、一生懸命に交渉を続けて来た。それでもまだ2万人の死亡者の記録をロシア側から受け取っていない。
 大連などには旧満鉄調査部関係の資料などが残されているとも聞いているし、余りにも時は立ち過ぎたとしても、なお探索すれば、何がしか資料は見出されるかもしれない。
 満州国の建国等も含めて、右に述べたことに関する資料を国の手で、又は、国の助力で早急に収集し、事実を解明し、記録に残すことを提案したいが、読者諸賢如何に思われるか。
 
 


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