back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2011.05.12リリース

第九十七回 <日本写真保存センター>
 三月十八日付の読売新聞の文化欄に「フイルム後世に伝える意義」として写真の原板=フイルムを保存するためのセンターを作るという運動を二〇〇七年以降国の調査研究費を受けて日本写真家協会(会長田沼武能)が進めていることを報じている。確かに文化遺産として保存して置きたい貴重なフイルムがビネガーシンドロームと呼ばれる加水分解で劣化し、修復不能となる怖れがあるだけに、今のうちから保存の処置を考えておかなければならないのは明らかなことである。
 劇映画のフイルムについては昭和四十五年国立近代美術館の中にフイルムセンターが設けられ、そこにかなりの量の集積保存が行われ、又昭和五十九年に作られた相模原の建物にも収蔵され、映写も行われているが、フイルムセンターに集められたフイルムは戦前からわが国で作られたフイルム約十万本のうち四分の一程度であるといわれている。
 図書については国立国会図書館への納本の制度が確立されているが、映画フイルムについては、法律としては同様に国に納入する対象となってはいるが、政令の定める日までその適用は停止されている。
 その理由は必ずしも詳らかではないが、多分映画フイルムは一般の図書に較べて制作本数が少ないこと、一本一本が高価であること、といって買い上げるための予算は莫大でなかなか確保し難いことなどではないか、と思っている。
 然し、私は、劇映画フイルムに限らず、あらゆる映画フイルム(ニュースなどの記録映画を含めて)、テレビ用フイルム、DVD、舞台芸術の記録、写真などおよそ映像文化財の凡てを収集、保存し、必要に応じて公開しうるセンターを作ることが必要と思い、同志と語らって映像文化財保存センター設立推進議員連盟を超党派で設立し、その会長となった。二〇〇三年のことである。
 それを実行するには制度を法的に整備すると同時に財政的な手当をしなければならず、なかなか思うように事柄が進行しないうちに、私は議員を辞し、後事を鳩山邦夫衆議院議員に託すこととなったのである。
 自民党が野党に転落したり、又、財政が極めて逼迫して来たことなどの事情も手伝っていると思うが、どうも、その後、事業としては一向進展していないようである。なお、最近相模原の収蔵庫の容量は倍以上となるよう予算がついたと聞いた。
 しかし、私は日本写真家協会の運動を俟つまでもなく、この映像文化財を保存することは文化国日本として是非果たさなければならない使命であると思っているので、これまでの経緯を広く江湖に明らかにするとともに議連の奮起を促して、一日も早く同センターの設立を期待したいと思っている。
 かつて、私は、パリにおいて映写機の記会館を訪ねて、映画発足以来の映写機の歴史を知ることが出来た。日本にもカメラの博物館はあるが、映写機に関しては寡聞にして承知していない。もっとも、フランスに私が構想しているような映像文化財保存センターが存在しているかどうかは承知していない。かつてフランス映画の優れた作品に接しているわれわれにとっては、そのようなセンターがもしなければ、他国のことではあるが、是非設立を祈って止まない。
 
 


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