back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2012.03.28リリース

第百二十回 <原発 地方自治の限界>
 福島第一の事故以来原子力発電の存否をめぐって議論が分かれている。どうも世論の大勢は原発の廃止に傾いているようであるが、わが国エネルギー源とくに石化燃料が乏しいことからも、発電の価格の点からも、原発にある程度依存せざるをえないという声も強い。
 原発事故の生活面への思ったよりも激しい影響からして、太陽光、風力などの発電に力が入っている。
 しかし、コスト面からしても非石化燃料だけには頼れない。原発事故後、現地や中央の対応が迅速を欠いていたことも事実のようであるから、今後原発処理について中央の積極的関与を期待している。
 一方、このところ行政面で中央から地方へ出来るだけ多くの権限を移譲し、その裏付けとして税源もさらに多く地方へ移譲せようという声が高い。
 東日本大震災の後の復興対策についても極力地方に委せることが主張されている。
 結構ですよ、私も反対はしない。然し、つらつら考えるのに、地方自治体委せには出来ない面も多い。瓦礫の処理一つをとっても、それぞれの自治体の地域内では処理できない。全国各地から一部でも引き受ける話が持ち上がっているが、総務省あたりが音頭をとってあっせんしたら、もっとスムーズにかつ合理的に処理が進まないだろうか。
 国から更に地方税源に移すことも問題である。しかし、各自治体の財政力に格差があることは明らかであるから、それをやったら、東京都のように財政力の豊かなところは益々して収入が増え、財政力の乏しい、例えば沖縄県などは増収が期待しえないばかりではなく、税源移譲によって国からの交付税の減は必死である。
 もともと、このような地方財源の偏在があるからこそ地方の一般的な財政需要に対応する交付税の制度が設けられたのである。従って、地方団体が、いわば自主財源として使用しうる交付税を思い切って増額し、地方税収を国税に移す方が、少なくともいわゆる貧乏県にとっては有強いことになる。
 以前実施されたいわゆる三位一体の改革はその逆を行ったような政策となったのであるから、貧乏県がより財政状況が要くなったのは当り前である。要は、名目ではなく、実質である。
 又、いろいろな制度を地方自治に委せるといっても、限度がある。例えば、小学校について、義務制でありながら、府県によって学級編成の基準や、職員の配置定数に差があっていいものだろうか。給与水準に大差がついてもいいものだろうか。
 地方税の税率も標準税率は定められているが、別に最高税率まで引き上げることになっている、例えば固定資産税。これが更に税率に格差が設けられた場合は、それこそ住民からの強いブーイングがあがってくるだろう。
 私は、前にもこのブログで述べたように、地方税である住民税は国税と一緒に賦課徴収したら、事務簡素化になると思うし、何なら住民税をなくして、国税の所得税、法人税と一緒にし、その代り住民税相当額の税収をそっくりそのまゝ現行の交付税に合算するか、第二地方交付税として配分したらいいと思うが、如何であろう。
 東日本大震災にしても、復興の進まない原因の一つとして災害復旧関係の事務を扱う人員が不足して、設計図すら思うように作れないことが挙げられている。私は、そうだと思う。現在全国的には公共事業の現模は往時の半分以下になっているところが多いと思う。国が音頭を採って人員の移動を講じたらどうか。このような技術者はそもそも国にプールをしておいて、求めに応じて派遣をすることができればいいと思う。
 
 


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