back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2013.06.27リリース

第百四十二回 <落語>
 およそ落語に興味を持つようになったのはいつの頃だったろうか。
 ラジオで聞いていた頃は別として、友人と高座に通うようになったのは、一高に入って間もないではなかったろうか。
 下町育ちで歌舞伎をはじめ遊芸の道に子供の頃から親しんではいるという同級生のY君に誘われてからである。
 染太郎兄弟の手妻などもあって、賑やかな舞台であった。
 戦後、カセットテープが流行するようになって、志ん生、文樂、圓生などのテープの全集を次々と購入をして、主に事務所に通う車の中で聞くことを楽しみにしていた。
 私は、中でも志ん生の落語が一番好きであった。八方破れというが、とにかく、最初の一声「えーつ」でお客がどっとくる、という、これぞ落語の眞髄といった感じであった。
 折り目正しく何回演じても同じ文言をしゃべってくれる、という咄家もいたが、好きになれなかった。妙にしったかぶりをする人が嫌いであった。
 河野先生が志ん生が好きと聞いて嬉しくなったので、彼の全集を差し上げたこともある。
 立川談志は落語界の異端兒であった。妙な御縁から知り合って、選挙区の鳥取にも何辺かお招きした。彼は泳ぐのが好きだと言って、冷たい山陰の海によくつかっていたようである。
 後援会の集りで一席演じて貰ったことも度々あったが、どうもとても回転の早い彼の頭とおしゃべりは、ついて行けなかった点もあるようで、笑わすのは大へんだ、とぼやいていたことを思い出す。そうかも知れない。
 ある時、談志のシャベリの中での一語のアクセントが気になってならないことがあった。
 彼の家に電話をして、尋ねたら、ウーン俺にもわからねェ、考えて後で答える、ということで、俟っていたら返事があった、ずぼらに見えても言葉を大事にする人だな、と思った。
 近頃、NHKなどのテレビを見ていても、関西は吉本興業などの芸人が多く出てくるせいもあってか、アクセントなど、私などからみるとメチャクチャになっている。
 日本語の標準語はやはりお江戸東京の言葉ではないのだろうか。フランスあたりは正しい、美しいフランス語を守るために、テレビ、ラジオの発音をチェックする機関があり、絶えず注意をしていると聞いている。
 東京の言葉にも山の手の言葉も下町の言葉もあるが、山の手の言葉をもって標準語としている。
 私のクラスメイトに三河の出身者がいた、仲間が彼の言葉をからかうと、いや、家康が江戸城を築いて、江戸が東京となった。三河の人間が江戸を造ったので、三河の言葉がつまり江戸の言葉であり、東京の標準語となるべきものであると、彼は、固く信じていた。
 彼は少し変わった男で、学生服は持たず、いつもつつ袖の和服に袴姿であった。大学を出たら幼稚園の先生になるのだと言っていたが、医学部に入って小児科の医師になった。子供が好きだったのだろうが、あれくらい頑固であったら、それも一つの生き方だと思った。
 それはさて措き、落語は飽くまでも本筋は話芸である。珍妙な形をしたり、歌を唄ったり、ただ笑わせることだけを狙う芸人が多いが、もう芸の中に入らない。英語の落語など聞きたくはない。
 同じ話を何べん聞いてもいいと思う。ただ世の中が変わってきて、金の単位の感覚もわからなくなってきたし、吉原などでの遊びもいかにも古くて若い人だけではなく普通の人にもわからなくなって来た。
 そういう文化をどう受けとめて今後に伝えて行けるのか、やはり大きな課題として残るのではなかろうか。
 もっとも、この問題は落語に限らない。日本の古典的な歌舞音曲に共通する課題であると思う。
 
 


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