back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2013.10.09リリース

第百五十回 <航空便>
 これから羽田から全日空の便で米子に飛ぶ。今迄いったい何回往復したのだろうか。記録は日記を紐解いてみればわかるが、毎週一往復として四〇年、週に二往復もあるが、まあ二千回は往復していると思う。よく事故に遭わなかった、と思うが、天候のための欠航は昔はよくあった。機体の整備不良のため飛ばなかったこともある。米子空港で東亜航空のYS11が、中海につっこんだ事故もあったが、それに乗っていなかった。
 米子の空港はもともと自衛隊のもので、民間が使わして貰っている恰好であったから、何事も自衛隊が優先で、不便なこともあったが、降雪の時などは自衛隊の除雪能力が役に立った。ただ、自衛隊の訓練に差し支えるといわれると無理が言えないという不便があった。
 運輸省の方針は一県一空港主義であったが、一つもない県もある。鳥取県は米子と鳥取に空港がある。
 二つも空港のある県は少なかったので、われわれ利用者には便利であった。
 ただ初めは滑走路が鳥取一二〇〇メートル、米子一五〇〇メートルという短いもので、これを延長するというのが、私が鳥取から立候補した頃の大きな課題であった。滑走路が短いと大型議が離発着出来ないからであった。
 鳥取空港は一二〇〇メートルを一八〇〇メートルに米子空港は一五〇〇メートルを二五〇〇メートルに延伸して欲しいという要望であった。
 鳥取空港については、滑走路を延伸すると小さいが神社の社殿を一つ移動させなければならないという問題があった。あゝいう建物は小さくとも結構金がかかるものである。これはやることにした。も一つ延伸には滑走路を海べりに異動させなければならないと言われ、これも予算を確保しなければならなかった。
 最初に私のところにこの件で陳情に来たのは石破知事であった。彼は飛行機嫌いで知られていた。それにある時期定期便がストップしていた。知事も乗らないし、又、現に飛行機が飛んでいない飛行場の滑走路を延伸してくれ、というのはおかしいではないかと随分せめたが、石破知事は俺は乗らないが(彼は姫路まで車で行って、そこから新幹線に乗って上京していた)県庁のものは皆飛行機に乗せるから、というので、そのことを行って航空会社を始め、関係方面の人に納得して貰った。
 米子が騒動であった。というのは、自衛隊が滑走路の向きを変えることにして、予算の措置も出来ていた。
 私は、当時主計局の次長であった。そこで、滑走路の延長と付替えを一緒に実施すべきではないか、別々にやれば数千万円余分の経費が余計にかかる。自衛隊の工事をストップしておいて、空港整備計画を変更して工事を実施すべきであると言ったら承知したのに、入札も終っているからと自衛隊が単独で工事を始めた、と聞いた。さあ、私はこけにされたと怒って、工事を差し止めるように言ったが間に合わない、という。私は、当時の平林総務部長や土谷議員などを呼んで背信行為をなじる、という一幕になった。
 これはこれで一応おさめたが、次がC1の配備の問題が出て来た。騒音対策にかこつけて関連事業に国の予算をださせようという計画であった。石破知事、柏木整一郎境港市長などと打ち合わせて事業リストを作った。今考えてみれば、随分わがままを言ったものだ、と思うが、騒音が問題だとして、米子の市庁舎の新築費用の一部として四億円を出させることにしたし、又、境港の済世会病院の改築費の一部を負担させたり、道路や土地改良の費用の一部まで負担するようなC1配備の対策費を防衛施設庁の長官に飲んで貰った。年の暮に出張で三朝に来ていた長官を訪ねて、計画をことごとく飲んで貰うことにしてC1配備に関係者の賛成の了解をとりつけたことは、今でもよく思い出せる。
 何故、そんなにもめたか、は疑問であるが、遠因は、米子の空港には輸送機部隊だけが配備される、戦闘機は配備しない、という一札を防衛庁が出していたので、輸送機だけの用途には滑走路の延長は不要である。もし仮に延長しても、それは民間航空用のものであるから、その延長部分は自衛隊は使用しない。だから延長に要する工事費は運輸省の予算とする、というような条件をつけられて、滑走路の延伸がやっと認められたのである。
 この件がやっと片付いたら、今度は中海の漁業についての補償問題となった。これについては、別に書いたものがあるので、それに譲ることとするが、漁業権が強すぎることが問題であった。
 米子空港の滑走路は二五〇〇メートル、鳥取は二〇〇〇メートルとなったが、今でも両空港に行く度にいろいろな過去の経緯を思い出して、懐かしい気がするが、地元の無理の片棒を担いできただけに、それでよかったのかな、という反省もしている。
 
 


戻る