back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  
  2015.03.13リリース

第百九十七回 <外国人の客>
 アベノミクスとの関係は薄いと思うが、近頃、至るところで外国人の観光客を見かけるようになった。どうも中国や韓国など近間の国からのお客が多いようだが、どうもそれだけではない。
 円安は起状はあるが、とにかくその方向になお続いていることも、外国人の多くなっている原因の一つかと思う。
 私は、さあ五十年も前であったか、新大久保の公務員宿舎に住んでいた。当時一番新しい鉄筋コンクリート製の宿舎であったかも知れない。風呂はついていなかった。近所の風呂屋に通わなければならなかった。夏はいいとして、冬の雪模様の日などは、洗面器やタオルを抱えての往復は辛かった。
 それから、間もなくその辺は韓国人が多く集まって住む、ちょっとした韓国の町のような雰囲気となっていた。
 そのようにまとまった形の外国人の街は、戦前は、私どもの住んでいた横浜に南京町(中国人)や山手の外国人街(米国人が多かった)があったし、逆に外国、例えば米国にはサンフランシスコやロス・アンジェルスには日本人が集って住む町(リトル・トーキョー、ジャパンタウン)があったし、ブラジルにはサンパウロにかなり大きな日本人の街があった。今は昔、タイにはアユタヤに日本人の町があって山田長政など有名であった。アユタヤには、戦後東南アジアを一まわり駆ヶ足で訪問した折に一日を裂いてバンコックから出かけて行った。かつての日本人町の跡は殆んど消えて、後から建てたらしい色褪めた、みそぼらしい鳥居が一つ建っているに過ぎなかった。
 以上述べた日本人の街はいずれも一度覗いた程度にしか行ったことはないが、そのような外国人の街が日本にもいくつかあったし、現にあるのである。
 私は、最近は行ったことがないが、新大久保は韓国人に占領されているみたいだ、という。
 そんな街のことを書こうとしたのではなかったが、最近どこを歩いてもかなり外国人が増えてことを痛感する。大部分は観光客である。
 連中の目的は観光もあるが、日本で物を買うことらしく、円安が輪をかけて、かつて、日本人がパリやロンドンなど外国でブランド品を買い漁ったのと同じような現象が起っているようだ。
 電化製品などを山のように買い、抱えて気前よく円札で支払って行く中国人のことなどよく新聞にも出ている。
 かつて、日本人がパリのエルメス、グッチ、シャネル、ルイヴィトンなどの店で先を争って品物を買い占め、ついに、日本人に限り一人一点とか、制限を喰わされたということを聞いて恥しい思いをしたことを思い出す。
 外国人の訪日者の増えたせいか、街に外国語の標示がかなり増えて来たように思う。銀座の店なども、従来の英語などの外、中国語、韓国語の標示が随分増えて来た。
 鳥取県のような地方の街にも外国人の旅行客が増えて来ているという。カネを落してくれることは有難いが、どうも礼儀知らずはともかく、不法なことを平気でするのは困ったものだということも耳にしている。例えば、風呂の洗い場で平気で小便をするとかである。習慣の違いもあるが、確かに便所などは中国、韓国、ロシアなどは一般に綺麗とは言いかねる。
 それに、大体、日本の街は地名などの標識が少なく、又、不親切である。戦後、パリに出かけた時は一人で歩くことが多かったが、地下鉄などの乗物も標識が極めて親切であることに気がついた。観光客の多い国として気を遺っているのだと思ったが、少なからず感心をした。もつとも、制限されて乏しい外貨で泊ったホテルが日中は一人だけ英語を解するものがいたが、夜から朝にかけてはフランス語以外は全く通じず、日仏の会話集を手に苦労したことを思い出す。もっとも大ていのレストランでは、大きい所は別として、フランス語だけしか通じなかった。
 二〇二〇年には、色々準備しなければならないことの中で、おし寄せるであろう外国人観光客を如何に遇するかが、勿論大きな課題となっている。この街の標識などは本当にしっかりやって貰いたい。ただ、単にオリンピックという一過性のイベントにくる客対策としてではなく、観光立国を口にするなら、受入れ対策は充分練ってしっかり実行して貰いたい、と思う。
 
 


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