back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2017.07.21リリース

第二百六十七回 <ヒットラーの暗殺計画>
 偶然テレビのチャンネルをひねったら、表題の絵が映っていた。
 ヒットラーはドイツ軍のレニングラードでの大敗後、ベルリンの地下室で妻となった愛人のエヴァ・アンナ・パウラ・ブラウンと一緒に服毒して死んだということは前から知っていたが。このテレビのようにヒットラーの狂気のような独裁政治を止めさせるために多くの秘密計画が樹てられたが、いずれも失敗したということは知らなかった。
 昭和二十年八月十五日の日本の降伏後われわれ満州・樺太・千島・北鮮に駐屯していた日本軍はソ連に捕らわれ、酷寒のシベリアなどに抑留されて、六〇万人の一割が亡くなった。
 私どもは、一ヶ月近いシベリア鉄道での移送後、ボルガ河支流のレカ河畔の一小都市エラブガのラーゲルに収容されていたが、そこは先住民として主にスターリングラードで降伏をしたドイツ軍の将校(ハンガリー、ルーマニアなど旧枢軸国の軍人も含む)数百人と一緒に一年余暮らして、とくに彼らとのリエゾン・オフィサーをしていた私は、たどたどしいながら毎日ドイツ語での会話を交わしていた。
 何百万人ものユダヤ人の強制収容、ガス室での殺人など信じられないような凶悪な犯行を行ったドイツ人。同じドイツ人であるとは信じられないような蛮行を演じたのが未だに信じられないが、事実そういうことがあったのだろう。ヒットラーの暗殺計画は起るべくしておこったが、ことごとく失敗した、という所であろうか。
 後年、私がヨーロッパに出張を命じられた際、残されたガス室なども見せて貰ったが、われわれ日本人の心情ではなかなか理解できない所業であって、人種の差を痛感した。
 はだしで石畳を歩かされてガス室へ向かうユダヤ人の多数の姿を後年ニュース映画で見たときも俄かには信じ難かったが、真実であろう。
 無抵抗な人間を人種が違うという理由だけで、片っぱしから殺して仕舞うというようなことは、日本人には真似もできないと今でも強く思っている。
 中支に駐屯していたわれわれも毎日夜何回となく、米軍の銃爆撃を浴び、私自身も危うく殺されるところであったが、どんな理由があるにせよ戦争は嫌だ、反対だ。
 然し、相手がある。彼らが仕掛けてくるというなら、こちらも銃をとって斗わなければならぬ。それだけの覚悟は最低持っていなければならぬ、と日頃思っている。
 
 


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