back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2010.06.17リリース

第七十回 <「地方自治の限界」>
 大論文を書くつもりもなければ、又、それだけのデータも見識もない。ただ、日頃感じていることをいくつか並べて読者の判断の材料に供したいと思う。
 もっとも、地方自治について論ずるには、地方自治体が今後どう変して行くかが1つの大問題である。例えば、道州制の問題である。
 うろ覚えであるが、徳川時代には7万の部落があったという。明治時代には1万の市町村となり、昭和の新市町村合併促進法によって3千数百の市町村となり、平成の合併によって千数百の市町村に集約された。
 さて、道州制であるが、前々から議論はあって、昭和31年の地方制度調査会では1票差で道州制移行が決定されたが、時期が熱しなかったせいもあったが、店ざらしにされて具体的な動きとはならなかった。
 道州制については、果して幾つの道州に集約するかについて甲論乙駁、なかなか意見が纏らない。しかし、そう各論に大差があるわけではないから、強力に決めることになれば、結論は出るだろう。
 それはいいとして、その場合、府県はどうなるか、である。一般的には、道州制を採るなら府県制はなくなるものと見られている。道州の下は市となる(多分、町や村はなくなるのであろう)。
 市の数は3百前後とすれば、10の道州なら1つに約30の市がつく。10の道州とは、私見では、北海道、東北、関東、東海、北陸、近畿、中国、四国、九州、沖縄。このうち、北陸は東海に、沖縄は九州に含めるとなれば、8道州となる。その場合は1道州に30〜40の市がつく。
 だから、道州制の前提には、市町村の合併がもう一度なければならない。これが、又、大へんな作業となろう。
 その場合、国会議員の選挙はどうなるか、であるが、衆議院は各市が定数1名、道州は比例代表各州10〜15名とする。参議院は道州につき定数10〜15名、比例100名とする。以上は目のこに過ぎない、具体的には、1票の格差の問題もあろうから、検討が必要である。
 次に、どこまで道州に権限を与えるか、である。私は、最近の風潮で、何でも地方分権がいい、地方に権限を与えるべきであるという議論には疑問を持っている、はっきり言えば反対である。各自治的によって制度がまちまちになっては困る部面も少なくないし、又、権力行政については、地方の末端に行くほど癒着が起りうるので、その点も心配である。
 昔から司法、警察、税務などの部門については、かつては出身地には赴任させない、又、同じ任地には2〜3年を限度とする、というようにしていたのも、1つには、癒着による弊害を防ぐ意味があったのではないか。戦争中は、食糧事情などもあって、この原則がやや崩れたところもあったが、今もおおむね守られているのは、それだけの意義があるからだと思う。
 それよりももっと大切なことは、教育、社会福祉などについての諸制度が各地方自治体によって百種百様に違っていいのか、という問題である。税制などについては現在でもたとえば住民税について標準税率は定められているものの最高税率の範囲内において地方自治体によって率を定めることができるようになっている。もし、この制度をとり外して、各地方自治体がいかようにも住民税の税率を定めることができるようにしたら、どういうことになるだろうか、今でさえ、大きな企業の固定資産を抱えている自治体は住民税率を下げているため、隣の自治体の住民が不満を持っている。かつて、固定資産税が沢山入るので住民税をなくそうとした町があって、自治省があわてて是正を指示したという事例があったが、これも放置せざるをえなくなる。道一つに隔てている自治体によって例えば固定資産税の税率に大差があって、住民は本当に納得するだろうか。
 国民としては、どこに住んでいても例えば税金は同じ、という方が納得し易いのではないか。例えば、保育所の経費負担額についても同じことが言えるだろう。そういう点は、国が関与しているからこそ水準を揃えることができるのであって、地方分権と称して地方自治体に委せてバラバラになっても差えないであろうか。
 例えば公共事業。道路を例に引く。道路の整備状況に差があるので、寝ていても車の震動で県境を越したことがわかるという話を聞く。今でも、各自治体でそれだけの差がある。勿論それでいいのだ、という意見もあろう。考え方によると、敢て否定しないが、納得は得難いのではないか。
 台風によって大災害を受けた。その復旧、被害者に対する手当て等、災害対策の在り方が府県により、市町村によって大差があってもいいものであろうか。阪神淡路の大震災の時も、自衛隊の救助出動要請をしぶる首長がいて問題となった。やはり、そういう事態に対しては、国が第一線に出て指揮をした方が何かと便宜だし、住民の徒らな不満を抑えることができるのではないか。
 例えば、農地転用などについても、かつて頑迷な県職員がいて、地方農政局が認めるべしという意見を出していても、頑として認めないという例を知っている。そのため、国道の整備が2、3年も遅れたという。
 そういう例ばかり挙げるな、という声もあろうから、これくらいにしておくが、何と言うか、乏しきを憂えず、等しからざるを憂うという国民一般の心は、地方自治を無制限に認めようとする動きとは矛盾するのではなかろうか。何事によらず、国が旗を振って、地方自治体がその通りに動けばいい、などということを言うつもりはないが、ただ抽象的に何でも国の権限をできる限り地方自治体に譲れという地方分権論者に対して猛省を促したい気がする。敢てアンティテーゼの存在を示しておきたいのである。
 事例をもっと具体的に示したいが、これまでについて、読者諸賢如何に思われるか。
 
 


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