back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2011.03.22リリース

第八十七回 <「災害対策についての発想の転換」>
 普賢岳の噴火に伴う災害対策について以前に述べたことがあるが、この度の東北地方太平洋沖地震について思いを新たにすることは災害対策について発想の転換がどうしても必要だ、ということである。
 簡単に言うと、災害が起こり、又、将来も起こり易いところに住まないように対策を考えることである。例えば、三陸海岸は過去において何回も津波の被害を受けている。そして、昭和八年とくに三十五年の津波の後で巨費を注ぎ込んで防波堤を造ったが、それも津波は破壊したり、乗り越えて内陸にながれこんでいるのである。百年に一度、千年に一度という稀な災害であったりしても、現に起こって大へんな災禍を招いたのである。
 失われた人命は二度と戻らない。それを防ぐには、防波堤を築くことではなく、その危険性の多い土地に住まないようにするのが第一義の対策ではないか。
 つまり、万里の長城のような巨大な防波堤の建設に巨費を投じるくらいなら、もっと海岸線から離れ、十メートルやそれ以上の津波が襲って来ても、決して届かないような所に土地を求めて、そこに住居を建て、事務所や工場も建設し、町を作るのである。
 これは個人や私企業の力だけで何ともなるものではない。国が府県、市町村と力を合わせていわば新天地を開拓するのである。
 これを実行するには勿論しっかりした具体的な構想のもとに法制上、財政上の手当をしなければならない。
 かつて、私は、ブラジルで巨費を投じて建設を進めている最中の新しい首都ブラジリアを訪ねる機会を持った。昭和四十九年である。F86Fを改造したテコテコという小型ジェツト機でリオデジャネイロから千キロも飛んだ、絶大な計画の実現する姿を視察した時は息を飲むような思いであった。
 その後、ブラジルが猛烈なインフレに呻せざるをえなくなった原因の一つにこの新首都建設に莫大な国費を投じたことが挙げられていたが、その後三十年も越える年月の経過を見て現在そのことの成否をいかに判定されているのであろうか。
 あの遷都は別に災害対策ではなかったが、何か新天地の形成を言うと思い合わせられてならないのである。
 先に、私は、災害の予防に切りのない巨費を投じるよりも、被災者の救済に迅速な対策を建て、思い切った国費を投じる方が本当に災害対策としての実効を挙げることができるのではないか、と記したが、この考え方の難点は失われた人命を救済できない点であるから、やはり、ここに提案したように災害の根本的予防という考えに基づく対策の具体化に是非政官民を挙げて取り組んで貰いたいと思う。
 
 


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